君は飛火野耀(とびひの あきら)を知っているか 第6回『エメラルドドラゴン』
「エメラルドドラゴン」は1989年に発表されたロールプレイングゲームの名作。
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その壮大なストーリー、そして当時のゲームにはまだ珍しかったアニメーションを大量に取り込んだゲーム性は、当時のゲーマー達を虜にし、大ヒットとなりました。
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そしてこのゲームをノベライズ化したものが、今回ご紹介する作品、飛火野耀作:小説「エメラルドドラゴン」です。
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飛火野耀氏と言えば『イース 失われた王国』にて独自のアレンジを行い、ファンを驚愕させた執筆者。
そして予想に違わず、この小説『エメラルドドラゴン』においても、オリジナルのゲームシナリオの大改変がなされております。
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具体的に改変された部分を挙げればきりがないのですが、まず大きな部分が作中での勢力図。
ゲームでは世界征服を企む魔王軍 vs 人間社会というシンプル構造となっておりますが、この小説では魔界と手を組んだ“イシュバーン国”と、それに抵抗する“エルバート国”という、いずれも人間社会における二国間の戦争という構図になっています。
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“イシュバーン”も“エルバート”もゲーム中に登場する地名である為、あらかじめゲームの設定が頭に入っている方にとってはなかなかのややこしいかもしれません。
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加えて大きく異なっているのがメインキャラとなる二人の設定の違い。
このゲームでは「ドラゴンに育てられた美しき魔導士・“タムリン”」と「彼女を助けるために人間に化身したドラゴン・“アトルシャン”」という二人のメインキャラクターを主軸に物語が展開されます。
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二人とも、ゲーム中においてはRPGの主人公らしく敵を倒しながらレベルアップを遂げてゆきますが、この小説においてはそうした“いわゆるヒーロー・ヒロイン的要素”はなりをひそめ、独自の造形をもって描かれております。
まずタムリンは魔導士のスキルがなく、悪しき手により乗っ取られた“イシュバーン国”における正統な王女という、一国を背負った宿命的な人物設定。(追放された王女という設定はゲームと一緒。)
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そしてドラゴンの化身であるアトルシャンは人間界にやってきた際に全ての記憶を失っており、全くの無垢な異能者として時に周囲を驚かせ、時に呆れさせる“不思議な青年”として描かれております。
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ただこうした改変は、受け入れてさえしてしまえば実に納得のいくもの。
二国間の戦争、そしてヒロインであるタムリンをその敵国の王女とすることで、読み物としての深み・重みはぐっと増しますし、ドラゴンの化身という性質が存分に活かされたアトルシャンの人物設定は元のゲームには無かった説得力をもたらせております。
特に序盤における、ドラゴンの国での二人の生活や、その後人間社会に渡ってからの二人の挙動や心理描写などは実にきめ細やかに描かれており、どこか舶来の古典ファンタジーであるかのような趣をも感じさせます。
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が、しかしこの作品、ゲームノベライズならではのいくつかの問題により、なんとも惜しいものとなってしまっているのです。
その問題とは以下の3点。
- 登場人物多すぎ問題
- 場面転換多すぎ問題
- キービジュアル強すぎ問題
それぞれ、説明します。
1.登場人物多すぎ問題
ゲーム『エメラルドドラゴン』は総プレイ時間20時間に及ぶ超大作、そして冒険のパーティーは固定せず、10名以上のキャラがストーリーとともに次々とパーティーに入れ替るという独特なもの。
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そして彼ら登場人物がお互いに会話を交わしながら主体性をもって動き、しゃべり、そしてふんだんなアニメーションとともに物語が展開されてゆくという、それまでのドット絵では考えられなかったゲームシステムが魅力となっていました。
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なのでこのゲームのノベライズとなれば、多くの登場人物の魅力をあますところなく描くことが肝心。
実際、小説『エメラルドドラゴン』においてもゲームに倣い、主要キャラが敵味方含めて次々登場し、それなりに見せ場を設けているのですが、いかんせん上下巻トータル400頁といった分量の中では無理があるというもの。
複数の登場人物が短期間に次々と出入りする様はなにかとせわしなく、中にはどう考えてもストーリー上不要なのに、ゲームの登場人物だからとしかいいようがない理由で現れる人物もあったりします。
そしてこうした不自然とも思える展開が、序盤で描かれていたような趣きの良さを崩してしまっているのです。これは非常に残念。
2.場面転換多すぎ問題
『エメラルドドラゴン』というゲームはは先にも書いたようにプレイ時間20時間に及ぶ超大作。そこには広大なマップが用意されており、プレイヤーはその世界で無数のイベントをクリアしながら物語を進めます。
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なのでこの小説においてもゲームに倣い、洞窟や砦、森や砂漠といった、シナリオ上の要所が多数描かれます。
しかしただでさえ多い登場人物が、限られたページ数の中で西へ東へと動き回り、しかもそれぞれが同時進行で役割をこなし(=ロールプレイング)てゆくのは、読み手としてはなかなか大変。さらに時としてそれらの時系列が前後することもあり、非常に慌ただしい印象を覚えてしまうのです。
で、その時間的・空間的情報を補足するがごとく、時折俯瞰視点による状況説明がはいるのですが、それもまた作品との距離感が取りずらくなってしまい、結果としてこれまでの飛火野耀氏の小説にあったような“格調”が感じられなくなってしまっているのです。
3.キービジュアル強すぎ問題
これがある意味最大の問題。
冒頭で示したように、この「エメラルドドラゴン」というゲームは当時にして最大級のボリュームのアニメーションを投入した、極めてビジュアリーなゲームでした。
木村明広氏によって描かれるタムリンやアトルシャンの肖像は、当時のゲームファンやアニメファンの要望をそのまま形にしたようなデザイン。
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特にヒロイン・タムリンの容姿は際立っており、当時のゲームファンの間で“エメラルドドラゴン”と言えば、この青色の僧帽姿を思い浮かべない人はいなかったのではないかとも思われます。
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そしてこの小説『エメラルドドラゴン』は、ゲームと同じイラストレーターである木村明広氏が存分にその手腕を振るい、ゲームの興奮をまんま彷彿させる見事な装丁。
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なので言わずもがな、小説の中身とのギャップがすごいことになってしまっているのです。
そもそも文中に描かれるタムリンは徹頭徹尾“王女”であり魔導士でも何でもありませんし、アトルシャンは竜の化身として“謎に満ちた不思議な青年”なわけで、決して勇ましい甲冑を身にまとった剣士のイメージではありません。
しかし読者からすればこの表紙、それに続く人物紹介のイラストの数々を目に焼き付けたまま本文に突入してゆくことになるので、あらかじめ頭に入ったビジュアルと、本文から思い起こされるイメージが、読めば読むほどかけ離れてしまうのです。
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もちろんこれは木村明広氏のイラストが悪いわけではありません。
氏としてはゲームのファンの思いに応えるべく完璧な仕事をされたわけで、オリジナルのゲームとおなじイラストレーターによって描かれた表紙や挿絵はファンにとっては眉唾物の逸品であったことでしょう。
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でもこれは本作のイラストとしては完全にミスマッチ。
本来読者の想像を助長するはずの口絵の数々が、逆に読者の想像を妨げ、おかしな方向に誘導してしまっているのです。
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強いて言えばこの小説の企画自体に無理があったのかもしれません。
木村明広氏のイラストを用いてゲームのままの興奮を読者に伝えるのであれば、本文もゲームのままのストーリーを活字化する作業者を登用すればよかったわけですし、飛火野耀氏というガチな小説家を起用するのであれば、その口絵はオリジナルのゲームとはかけ離れた写実的、または抽象的なイラストにするべきだったでしょう。
その意味でいえば、同じ飛火野耀氏の著作、『イース 失われた王国』はやはり正解だったのかもしれません。
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まとめ
ゲームノベライズという特性上、さまざまな問題を抱えてしまった小説「エメラルドドラゴン」。
残念ながらこの小説が当時の読者の支持を得られたとは考えにくいものがあります。
なにしろ当時のPCゲームファンにとって美しき魔導士「タムリン」は女神のような存在。
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この装丁につられて本書を手にした方は多かったでしょうし、その多くがゲーム・「エメラルドドラゴン」のストーリーをそのまま活字にリライティングしたものを想像したことでしょう。
それこそがこの小説エメラルドドラゴンを手に取る大多数のニーズだったと考えられます。
でも、飛火野耀氏はそうはしませんでした。ゲームのままのシナリオを活字に置き換えたもの、それは小説ではないとばかりに独自の路線を貫き通し、さらにその上でこれこそが真実のエメラルドドラゴンの物語である、と著したのです。
これにはオリジナルのゲームを愛するファンは相当面食らったことでしょう。
編集部にも苦情が殺到したと見え、現にこの作品が発売されて数か月後に、同じ出版社から軌道修正的な続編が別の作者によって書かれ、発売されています。
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しかしこれはいかがなものか。
飛火野氏にしてみれば、続編をさくっと別の作者によって発売されてしまうのは相当プライドを傷つけられたのではないでしょうか。
「もう二度とゲームのノベライズなんか書くものか!」と思ってしまったのかもしれませんし、もしかすると「もう飛火野耀なんかやめた!」とまで思わせてしまったのかもしれません。
実際、執筆順でいえばこの作品が小説家・飛火野耀の最後の作品となるのです。
そう考えると、あくまでも憶測にすぎませんが、このエメラルドドラゴンが飛火野耀氏の運命を決定づけた一作と言えるのかもしれません。
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ゲームのノベライズ。そのあるべき姿を逆説的に浮き彫りにしてしまった小説「エメラルドドラゴン」。
しかしながら、あえて上記に挙げられるような要素を抜きにして本作を鑑賞するにするならば、その物語性には実に素晴らしいものがあります。
悪しき手により追放された王女の帰還の物語があり、そしてそれを支える竜の化身である青年の物語があり、魔と手を組んだイシュバーンと、それに抵抗するエルバートという国同士の大きな戦という物語があり、さらには闇落ちした一国の宰相とその娘(ファルナ)という物語があり、それは全体を通してまるで壮大な大河ロマンであるかのよう。
そしてそれらひとつひとつの要素が一本の束のように集約され、堂々と完結へと結びつく過程は見事としかいいようがありません。
最後、全ての戦いを終えたアトルシャンが溶岩の上で魔の根源と対話をするシーンや、真の姿に転生したアトルシャンが王城のタムリンの上を旋回する場面などは情景的に痺れるようなものがあり、映像作品で見てみたいという欲求にもかられます。
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もしこれがゲームの世界に拠るところなく、登場人物やシナリオ上の要所をシンプルに削り、キービジュアルも質素なものとして世に送り出されたのならば、もしかするとオリジナルのゲームとはまた違った風格を漂わせる名編として後世に語り継がれたのかもしれません。
飛火野耀氏のファンとしてはそんな空想をかきたてずいはいられない、どこか名残惜しさの残る一作です。
ご興味のある方は是非、手に取っていただきたいと思います。
当時広く出回ったようですので、古本であれば比較的容易に入手可能です。
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◇エメラルドドラゴン 上
◇飛火野耀(著)
◇1994年
◇電撃文庫
◇AMAZONリンク
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◇エメラルドドラゴン 下
◇飛火野耀(著)
◇1994年
◇電撃文庫
◇AMAZONリンク
ちなみにこの作品における筆者のプロフィールは下記のようになっています。
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これまでのミステリアスな近影から一気にポップなイラストに変貌しましたが、より一層謎が深まってしまったと言えなくもありません。
さて、つづく第7回はいよいよ飛火野耀氏最後の作品にして、唯一の単行本作品、『神様が降りてくる夏』に迫ります。
物事はなるようにしかならなしし、その中で最善を尽くすしかない
というセリフがありました
物事を白黒でしか判断できず、その結果を自分でどうにかしなければならないと思い込み、日々プレッシャーで押しつぶされそうな思春期の中でこの言葉にはっとさせられ自分の価値観がガラッと変わったことを覚えています
小説の中の何気ない一文が心を変えることもあるんですね
作家名を知りたくてたどり着きました
こういう時インターネットの恩恵を感じます