大友克洋の「アキラ」5巻を3年間待ち続けた俺は人格が崩壊しているかもしれない。
アキラといえば日本を代表する漫画家、大友克洋の代表作。その圧倒的な作品クウォリティは連載後30年を経た今もなお語り継がれる傑作。
特にこの作品、その画力を存分に楽しめるB5判大増頁の装丁が素晴らしく、アキラといえばこのカラフルで重厚感たっぷりの単行本を思い浮かべる人も少なくないはず。

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私がアキラの単行本に出会ったのは、まだ小学校高学年の時でした。
当時まだ珍しかったファミリーマート(まだオレンジ色のかおのマーク。)に、やたら目立つ分厚い漫画が陳列していたのを立ち読みしたのがその始まり。

その芸術的な程の細かい絵とスピード感、そして大人の雰囲気がだたようハードな内容は、「週刊少年ジャンプ」の世界しか知らなかった少年の心をわしづかみにし、暇があってはファミリーマートに入り浸る日々。
(当時、近所にファミリーマートと駄菓子屋が隣接していたので、駄菓子屋で遊んでからファミリーマートで立ち読みをするというルートがルチン化。今考えるとただただ迷惑なガキ。でも不思議と店員に怒られたという記憶もありません。寛容な時代だったのかも。)

そのうちに兄が単行本を買ってくるようになり、2巻、3巻と順当に読み進めるも、この作品、4巻を機にぱったりと刊行が止まってしまいます。
これは作者である大友克洋さんが同作のアニメ化プロジェクトのため、長期休載となった為。
ただこの4巻、尋常じゃないレベルの陰鬱な内容だったため、その後5巻が発売するまでの長い時間を、実に暗澹たる気持ちで待たなければなりませんでした。

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「アキラ」は、近未来都市に繰り広げられる、超能力をめぐってのSFストーリー。

ただ、その内容は3巻終了時を前後に大きく変質します。
前半3巻までは、近未来都市・ネオ東京を舞台に、不良少年・金田とその友人・鉄雄の二人が軍の極秘の超能力研究に巻き込まれてゆく抗争劇。

その内容は国家とテロリストが絡んでのハードなもの。でも主人公の金田が超人的な運動神経の持ち主で、神をも恐れぬ楽天的なメンタルを備えたキャラなので、全体的にアップテンポで読み進めることが出来ます。


ところが3巻の最後にそれまで危惧されていた超能力少年“アキラ”の力が暴走し、ネオ東京という大都市が丸ごと壊滅してしまいます。

そしてこの時、主人公の金田も都市崩壊とともに行方不明に。

そして4巻以降は廃都化したネオ東京が舞台となるわけですが、荒廃したがれきの中で描かれる世界は凄惨そのもの。

とくにそれまで作中の「陽」の部分のすべてを支えていた主人公・金田が、全く姿を消してしまったため、物語がどんどん「陰」へ「陰」へ突き進む方向に。



もう嫌だ!
こんな世界もうたくさんだ!
これ以上読み続けたくない!
目をそむけたくなるようなストーリーがさんざん続いた最後の最後、まるで救世主のように主人公・金田が空から落ちてきます。

それは本当に物理的にまっさかさまに落ちてくるのですが、どういうわけだか金田がコマの中に現れた瞬間、荒廃した世界に明るさが舞い戻ってきます。

この不安からの解放感と安堵感は、尋常ならざるものでした。
読者をさんざん不安のどん底に陥れてからの、主人公の復帰という一本釣り。
大友克洋さんの凄さはあらゆる方面で伝わっていますが、こうした構成力もまた伝説として語られるゆえんなのかもしれません。

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と、ここで4巻が終わり、その後「AKIRA」は長い休止に入ります。
だた、この4巻の最後のページに素晴らしく胸の高まる予告が掲載がされていたのでした。

追い詰められる鉄雄を取り囲む金田達。
次巻「金田之章」堂々完結‼の文字。
ボルテージはいやがおうにも盛り上がって仕方がありません。
ああ…これからやっと金田達の活躍が始まるんだ…この地獄そのものの世界に、金田の逆襲が始まるんだ…とかなんとか、いろいろなストーリーが勝手に思い浮かんでは、5巻の発売を今か今かと待ち望む日々。
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ところが前述のとおり、5巻は待てども待てども発売されません。
予告の88年が暮れても全く音沙汰がありません。
さらに翌年になっても一向に気配はありません。
その翌年、忘れかけていたころに待望のアキラの5巻がようやく発売!
ああ、夢にまで見たクライマックス。
最終巻「金田之章」だ!
さあ!

ところが!

あれ、「金田之章」じゃない。
さらに

終わってないいいいいいいいいー!
これはこれでびっくりしました。
本当の完結はさらにもう2年後。

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今でこそ新たな読者様は皆、6巻まで一気読みをすることができますが、当時4巻で立ち止まってしまったストレスはなかなかのものでしたね。
特に私の場合、多感な中学生の3年間をまるまるアキラ4巻の荒廃した世界観をにらみ続けながら過ごしてしまったので、人格形成にもなんらかの影響を及ぼしている可能性もあります。(でなければもう少し健全な心を持ち合わせていたかも…。)
当時リアルタイムでその苦痛を味わった人は是非、語らいたいものです。
根の深いところで何らかの思いをシンクロすることが出来るかもしれません。
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