エグゼドエグゼスの憂鬱3(全3回)
エクゼトエグゼスを買ってしまったことはおろか、ファミコンを購入したことも、誰にも言いたくありませんでした。
持っているだけで大きな失敗を抱え込んでしまったかのような気分。
そんな情けない気持ちでいっぱいでした。

それでも小学生同士の友人付き合いでめいめい家と家を行き交う間柄であれば、自分がファミコンを持っていることは隠しとおせるはずもなく、割と早い段階で 友人たちにそれを披露する日がやってきます。
「あんまり面白くないんだけどさ。」
「スーパーマリオが無くってしかたなく買ったんだけどね。」
とかなんとか、期待を少しでも削ごうとするも、友人たちは興味津々。
誰も見たことが無い謎のゲーム。
皆、我先にと画面に食いつきます。
嫌~な気配を一身に背負いながら、いよいよゲームスタート!

ところがコレが予想外にも大人気!
友人たちが次から次にコントローラーの順番を待ち構える状態。
どういうわけだか自分でも友達と一緒に遊んでみると意外や意外、面白い!
一人で遊んでいたときはあれほど鬱屈していたのに、みんなで遊んでみると終始笑いが絶えないのです。
画面の安っぽさも、射程距離のストレスも、画面のちらつきですら爆笑で吹き飛ばす始末。
なぜなのか。
実はこのゲーム、当時まだ珍しかった2人同時プレイが可能だったのです。

さらに、今で言うところの「死にゲー」といってよいほどの難易度がシンプルな爆笑を誘い、かつ何度でもコンティニューが出来るということで、「やられたら次の人と交代」というルールのもと、順番にいつまでも遊ぶことが出来たのです。
即ちこのゲーム、黙々と目標を達成するシューティングゲームとしてではなく、陽気なパーティーゲームとして大いに真価を発揮したのでした。

友人たちの間でも「エグゼドエグゼス」は注目を集め、おかげで友人たちがこぞってゲームの貸し合いをせがまれました。
そしていざ貸してみると友人たちは決まって必ずいうのです。
「なんかこのゲーム、一人で遊ぶとあんまり面白くないね。」
そして、わたしは友人から交換で借りたツインビーやグラディウスなどの良作ゲームをホクホクの体で楽しむことが出来たのでした。

ただそれでもやはりこのゲームを買ってしまったことはずいぶん反省したものです。
やはり高いゲームソフトを買うのですから、その場の感覚だけで選択をするのはもうやめようと。
しかしちょうどその一年後、私はまたもや同じ過ちを犯してしまうことになります。
そしてそれはこのエグゼドエグゼスのように、ほのかな感傷をもたらせる余地も無ければ、一切の憂いも許さない、真の地獄でした。

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