コスモジェネシスの地獄2(全2回)
遊ぶことができないできないゲームを買ってしまった…。

そのショックはエグゼドエグゼスの比ではありませんでした。
エグゼドエグゼスも衝撃的ではありましたが、このコスモジェネシスに比べればかわいいもの。
敵を倒せば得点になり、マップを進めば倒すべき巨大な要塞も現れる。
テクニックを磨き経験を積み重ねれば上達もするし、みんなで遊べば笑いも巻き起こる。
少なくともゲームとしての体は成していました。
ところがこのコスモジェネシスに至っては、ゲームとしてプレイすることすら叶わない代物。
体としては確かにシューティングゲームではありますが、敵にたどり着くまでにひたすら地道な作業を積み重ね、そして敵に遭遇してみれば鬼畜のような猛攻に全く歯が立たず即死。

いったいこれをどう理解すればよいのか。
今にしてみれば「ゲームバランスが悪い。」という解釈におさまるのでしょうが、そんな言語による理解に到底及ぶはずもなく、ただただ、理不尽な難易度に首をかしげるのみ。
もしかすると自分はだまされているのだろうか。
でも、これはファミコンカセットとして世のなかに流通しているのだし、雑誌でも克明に宣伝されている。

そもそも、全く遊ぶことができない高額なおもちゃを堂々と販売することなどあっていいものなのだろうか。
激しい不毛感と喪失感、そして訳の分からない敗北感。
救いようがない暗黒の地獄。

結局、このコスモジェネシスは数日もすると個人的には「無かったこと」となり、友人の間を流れることも話題となることもなく、永久に棚の奥に葬り去られることに。
以来、数十年の間コスモジェネシスのことは記憶からも完全に消滅しておりました。
記憶の底の暗い部分に封じ込められたコスモジェネシス。
暗黒の淵に葬り去られ、二度と浮上することがないであろう日々。

ところがこのブログを書くにあたりいろいろ調べてみると、なんとこのコスモジェネシスを12年かけてクリアしたという記述を発見!
これは驚愕。
12年という年月にも妙に納得。
これはプレイをした人でなければ分からないリアリティ。
そしてさらに驚いたことにゲーム開始からクリアに至るまでの動画がアップロードされているのを発見!

まさか!
しかし実際に映像をみると、確かに事実。
あの、凶悪としか言いようがない猛攻撃を交わし、迎撃し、敵を殲滅している。その光景はまるで奇跡をまのあたりにしているかのよう。

同時に、ある思いが胸の奥底からわきあがってくる。
出来たのか、あのゲームは…。
絶対にプレイすることができないゲーム。
遊ぶことができないとあきらめていたあの悪夢。
それが今、目の前で現実にプレイされ、敵を撃ち倒すシューティングゲームとしての本性を存分に発揮している。
自分はもしかすると大きな間違いをしていたのかもしれない。
子供の浅知恵で勝手にできないと決めつけていただけだったんだ。
俺はなにも分かっていなかった。
あいつのことを何一つ分かってやれないまま、置き去りにしちまったんだ…。

そう思うや否や、いてもたってもいられず早速実家を漁り、数十年ぶりの再会(ゲームスタート)!
すると、現在の40インチ以上の大画面に広がるコックピット画像はそれなりに圧巻。
ガチなゲームシステムも数十年の時を経た今となっては、妙に魅惑的。
そして戦場の容赦ない猛攻は映画さながらの緊張感!
全方位に意識を張り巡らせ、一瞬でも気をぬくとたちまち包囲される恐怖。
敵機を追うすさまじいスピード感!
一機、二機と撃墜する興奮!
やれる!
俺はやれるぞ!

が、結果はあえなく爆沈。
やっぱり難しい。
でも、ユーザーに一切媚びず、殺す気満々で向かってくる敵機の姿勢は昨今のゲームには絶対あり得ない緊迫感。
これはこれで面白いかも…。
どうやら数十年の時を経て、ようやくその魅力に気が付いてしまったみたい。
ただクリアははるか遠く、長い闘いになりそう。
もしかするとコスモジェネシスの真の地獄は、これから始まろうとしているのかもしれません…。
END
コスモジェネシスで検索してたどり着きました。
小学生の時、お年玉を握りしめてファミスタを買いに行ったところ、どこも売り切れ。
何を血迷ったかレジに持って行ったのは、このソフトでした。
帰宅してゲームを開始して数分、色々な意味で涙目に。。
母親からは「バカ」と罵られました(笑)